花子かーさんのはっぴーライフ
50代主婦で介護福祉士 人生経験積んできた花子かーさんのつぶやきです
生活

花子かーさんの車ライフ

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茨城では車がないとどこもいかれません。

茨城にきてから免許とりました。

 

東京に住んでいるときは

自転車かバスで移動していて

不便は感じませんでした。

 

ところが茨城に越してきたら

バスは1時間に数本

距離によってバスの運賃も上がります。

 

お店にいくにも

駅にいくにも

病院にいくにも

大変で免許をとる決意をしました。

22歳のときです。

 

多分、茨城に来なかったら

車運転してなかったと思います。

 

 

 

自動車免許を取得するまで

 

家族で東京から茨城に越してきました。

当時は父も私も東京通勤。

常磐線で一本で東京まで出られますが

1時間半以上かかって通勤してました。

 

その上

自宅から駅まで、バスを利用するしかなく

2時間以上の時間がかかっていました。

 

うちは父も母も免許もっていません

茨城にきて家族そろって打ちのめされました。

田舎生活の現実を知りました。

 

やはり車は必需品だと感じたのでしょう

高校を卒業したばかりの妹が

教習所にいかされました。

 

しかしイヤイヤ行かされたので

途中行かなくなったりして

最後は知り合いの教官に親が頼み込んで 

教習させてもらい

まるまる6か月かかって卒業しました。

 

それでも今では一番運転が上手です。

 

妹にづづいて私も免許取ろう!と決意して

東京で免許とりました。妹の二の舞は

しないように3か月で免許とりました。

 

でも一番運転へたです。

 

 

花子かーさんは車の運転すごく好きという

わけではありません。

 

生活圏のスーパーや駅、銀行、病院にいく

くらい運転できればなという感じで

必要に迫られて免許とりました。

 

でも今は、免許とって良かったと思います。

 

車が運転できたので

子育ての時も遊びや送り迎えで 

年子の子育て助けられました。

 

仕事も地元で車通勤できるようになったし

 

親が年をとってからは病院の送り迎えも

車のおかげで助けられたことが沢山あります。

 

人間やろうとおもったらできるものですね。

 

絶対いやだった高速も何度かのりました。

東京まで車で行ったこともあります。

 

今は車でお出かけできることが花子かーさんの生活を豊かにしてくれています。

 

 

歴代の愛車たち

 

練習用に叔父から安く買った車が

最初の車でした。

 

普通のセダンで比較的大きかったですね。

教習所で乗った車と同じくらいの

大きさでした。

 

 

 

私はマニュアル免許とったんですよ。

なので

よくエンスト起こしてました。

 

坂道は下がってしまうし

ハラハラドキドキ

大変でした。

 

今はオートマ楽ですね

 

少し運転にも慣れたころ自分で

車をかいました。

 

あの頃

今の天皇陛下と雅子さまが結婚が

決まったころで雅子さまが乗っていた車と

同じトヨタの車を買ったんです。

 

懐かしいですね。

 

結婚してからは旦那の乗っていた

セダンタイプの車になりました。

 

それから

子どもが生まれてファミリーカーの

ステップワゴンを買ったけど

大きくて乗りづらくて

 

仕事で配達もやり始めたので

頼んで私用の中古の軽を買ってもらいました。

 

軽自動車に乗ったら楽ですよね。

そこからずっと軽自動車です。

 

狭い道もこまわりがききますし

税金も安い!

 

最近は車自体も

大きくなって軽自動車でも

十分な大きさがあります。

 

今はもう、軽自動車にしか乗れないくらい

気に入ってます。

 

あと、一回くらい車を買うかもしれませんが

軽自動車がいいです。

 

父のやさしさと母の強さと

 

我が家の子ども達もおおきくなり

息子も娘も免許をとりました。

 

免許をとったけれどペーパードライバーの

子どもの横に乗って練習に付き合ってます。

 

ものすごく怖くて

もっと早くハンドルきって!

ハンドル回しすぎ!

ついつい叫んでしまいます。

 

 

 

娘の運転する車にのるようになって

その昔、免許取りたての私の車に

父は何も言わずに横に乗ってくれていました。

 

道を良く知っていたので

カーナビのように

もうすぐ曲がるからとか、先に

指示してくれて安心だったことを

思い出しました。

 

怖かったでしょうが

何もいいませんでした。

いまとなっては、その優しさに

感謝しかありません。

 

母も運転は出来なかったから

余計なことはいいませんでしたが

 

当て逃げされたり

事故にあった翌日には

 

だめだよ!怖がって乗らないとと

乗れなくなるから今日も乗りなさいと

ほぼ強制的に車にのせられたことも

今となってはありがたかったなと思います。

 

強く背中を押してくれないと

怖さに負けて乗れなくなっていたかも

しれません。

 

親となった今

両親と同じように

優しさと強さで包み込めているでしょうか。

 

車でこわかった事件

 

 

免許を取って運転し始めて

何日目かに当て逃げされました。

 

がんっとぶつかって

走り去っていったあの車

 

ショックで怖かった思い出が残ってます。

 

結局逃げたので捕まりませんでした。

自分の保険で車も直しました。

 

ても花子かーさんは信じてます。

悪いことをすれば

絶対まわりまわって自分にかえってくるに

違いないと。

 

因果応報です。

 

 

もう一つ忘れられない事故は雪の日のスリップ

雪がふる日に駅まで送ってもらいました。

坂道でスリップし

車は一回転

スローモーションのように回りました。

 

運良く対向車が来てなくて

助かりましたが

 

それ以降、雪がふったら車に乗らないが

我が家の合言葉になりました。

 

本当に怖かったです。

 

その他の車での事件は過去記事で

読んでください。

怖い事件もありました。

 

www.hanakoka-san.com

 

面白い事件もありました。こちらです。

 

www.hanakoka-san.com

 

 

まとめ

 

車は私にとって

移動手段だけではなくなりました。

 

親子の会話の場だったり

 

カラオケボックスだったり

私の部屋だったりします。

 

昔はよく車を運転しながら泣いたり

叫んだりしてました。

 

家では同居でいつでも、おじいちゃんがいて

一人になれるところがなかったから

 

そうして心を落ち着かせて

生活してたんだなと思います。

 

辛いことも、楽しいことも乗せて

花子かーさんの車ライフは

もう少しつづけられそうです。

 

 

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