花子かーさんのはっぴーライフ
50代主婦で介護福祉士 人生経験積んできた花子かーさんのつぶやきです
自然災害

地震からから25年

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地震のこと

 

 

早いものだ。

あの阪神、淡路大地震から今日で25年

あの日

朝、テレビをつけて

あの地震を知った。

 

しばらくすると煙が

炎になり家が燃えていった。

状況がわかるにつれて

被害の酷さが伝わってきた。

 

亡くなった方

6,439人

どの人も

かけがえのない命だ。

 

自然の為す

巨大地震を目の当たりにして

無力感に襲われたのを

覚えている。

 

あれから

いくつも巨大地震があった

 

3.11には

茨城でも被害があった。

 

あの日

私はデイサービスで

働いていた。

利用者さんと三時のお茶を

いただこうとしていた時

あの巨大地震がおこった。

 

大きな揺れ

とにかく

全員に座ってもらった。

 

外に止めてあった車が

大きく揺れていた。

自分もドキドキしていたが

利用者さんを不安にさせてはならない

つとめて明るく振る舞った。

 

余震が何回もあった。

めまいなのか

地震なのか

わからない。

 

経験したことのない

巨大地震

テレビをつけても

すぐには状況はわからなかった。

 

とにかく

落ち着いたら

利用者さんを家に

帰さなくてはならない。

 

携帯電話がつながらない中

送迎をはじめた。

送りとどけながら1人暮らしの方の部屋を

確認する。

 

皿が割れて

台所に散乱していたり

ガラスの人形ケースが落ちて

壊れていたりで

ひどい状況だった。

 

ガラスを片付けて、

食器棚にはテープを貼った。

余震がまだ続くから

 

人形ケースをゴミ袋にいれ

ベランダに置いた。

触らないでねと伝えた。

 

道路は渋滞していた。

お迎えや早めに仕事を切り上げ

自宅にもどろうとする車

だったと思う。

 

防災無線が聞こえる

父兄に小学校に迎えにくるように

放送がながれてる。

 

でも行けそうもない。

まだ全員送り

とどけられていない。

携帯つながらないから

連絡もできない

心のなかで子どもたちに

ごめんと呟き

7時まで送迎した。

 

くたくたになって帰ると

子どもたちは先生に

送ってもらって

自宅にいた。

おじいちゃんは足が悪いので

迎えにいかれないが

家にいてくれたので

助かった。

 

家は無事だった。

明日からどうなるんだろう

予測もつかなかった。

 

災害のあと

 

災害は

その後の方が大変なのだ

 

翌日、津波で大勢の人が

亡くなったと知った。

ショックだった。

こんなに沢山の命が

一瞬で奪われる

 

被害はすくなくても

地震の余波は生活をおそった。

水、食料はスーパーから消えた。

ガソリンを買うのに

何時間もならんだ。

 

食べ物を探して

お店をまわった。

生きるために

 

本当に生きるために

 

被災した人たちはもっと

大変なんだろうね

 

 

3.11以降

沢山の自然災害を目の当たりにして

自分も防災力をつけなくてはと

思っている。

 

 

もう一度、災害用のリュックを

確認して詰め直そう。

いま、日本は地盤が不安定に

なっているとニュースで

いっていた。

 

いつ

災害があるか

わからない。ここ頻繁に

茨城にも地震が起きている。

 

防災のことを知っていれば

家族の命や

周りの人を少しでも

守れる

 

今日1/17にちは

防災とボランティアの日

 

人間はやっぱり1人では生きられない

人と人との繋がりを大事にしなきゃと

思う花子かーさんです。

 

 

 

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